小学生編7「終幕」
小学生も終わりに近づき、残すは「多摩市招待大会」だけとなった。
選抜での最後の大会。
4年生からの3年間、一緒にやってきただけあってこれが最後となるとやっぱり寂しかった。
3月12日に開催が予定されていて、今年も優勝して2連覇しようととても意気込んでいた。
だがその前日、今でも忘れることのない「東日本大震災」が起こった。
地震が来たときは学校の卒業行事で体育館にいた。
立つことさえできなく、地震の揺れで天井の電気が落ちてきそうでものすごく怖かったのを今でも鮮明に覚えている。
地震がおさまりすぐに家に帰された。
小学生の頃は家に帰ったらとりあえずサッカーボールを持って友達とサッカーをしに学校へ行っていたので、この日もボールを持って学校へ行った。
学校へ着くといつもサッカーをしてた友達が誰も来ていなかった。
すると先生が慌てて出てきてすぐに家に帰らされた。
家に帰ってふとテレビをつけると今まで見たことのない光景が映っていて当時の自分は怖くてすぐにテレビを消してしまった。
そして翌日から開催される予定だった「多摩市招待大会」は中止になり小学生でのサッカーは幕を閉じた。
サッカーだけに没頭した小学校生活。
たくさんの仲間と出会いサッカーが大好きになった。
そして泣き虫で弱虫だった少年が少しだけ強くなった小学校編でした。
今回も最後まで読んでくれてありがとうございました。
これにて小学生編が終了しました。
次回からは「FC多摩」での中学生編です、お楽しみに!
小学生編6「進路」
いよいよ最終学年になり小学校生活も終わりに近づいてきた。
6年生といえば中学の進路を考え出す時期である。
当時の自分は中学校の部活ではなくクラブチームでサッカーを続けたいと思っていて、多摩市周辺のクラブチームの何チームかで迷っていた。
そんなある日、多摩選抜での試合後、見に来ていたFC多摩のコーチと話す機会があった。
そのコーチは自分のプレーをとても褒めてくれて、ぜひうちに来て欲しいと話をしてくれた。
今までこういう誘いを受けたことがなかった当時の自分はそれがすごい嬉しくて迷わずFC多摩でサッカーすることを決断した。
多摩選抜で仲が良かった人たちも何人かはFC多摩でサッカーを続けることもあってものすごく楽しみだった。
進路も決まり、残す大会は「卒業記念大会」と「多摩市招待大会」この2つの大会が小学校生活の締めくくりとなる。
卒業記念大会は多摩市の全チームが集まりトヨニUSCとして出る最後の大会。
長年戦ってきたライバルたちともこれが最後の戦いになる。
小学校生活の集大成ということもありみんないつも以上に気合が入っていたこともあり順当に勝ち進み、迎えた準決勝。
準決勝の相手は、今までずっとしのぎを削ってきてお互いのライバル意識がものすごく高い因縁の相手だった。
選抜で一緒にやってきた仲良い人が何人もいるチームなだけあって絶対に負けたくなかった。
もしかしたら小学生のチームの中で1番負けたくない相手だった。
このチームとの今までの試合は負けたことがなかったけどほとんど引き分けでなかなか決着がついてなかっただけにお互い勝ちたい気持ちはものすごく強かった。
試合開始から激しい試合になりどっちが勝ってもおかしくない展開だった。
因縁の相手との最後の試合
結果は0-1で負け。
相手が今まで見たことのないくらい喜んでたのを見て悔しくて泣きそうだった。
そしてみんなとの最後の試合になる3位決定戦。
同じ中学のチームに進むチームメイトがいなかったからこれがみんなと最後の公式戦になる。
寂しさもあったけど最後の試合をみんなで楽しんで勝利し、トヨニUSCとしての最後の大会を3位で終えた。
もちろん今まで戦ってきたライバルたちに最後の最後で勝ち逃げできなくて3位に終わったのは悔しかったけど、チームメイトのみんなと何年間も一緒にサッカーができて楽しくて幸せな気分になった。
今回も最後まで読んでくれてありがとうございます!
次回が小学生編最後になります。
ぜひまた読んでください。
小学生編5「今日の友は明日の敵」
5年生の時は小学6年間の中で1番結果が残せて急成長した1年間になった。
自分のチームでは当時の「住友信託カップ」という大会で多摩市、稲城市、狛江市のブロック予選を2位で勝ち抜きこの大会ではクラブ史上初となる東京中央大会への進出を果たした。
東京中央大会という初めての舞台をみんなで楽しんで、チームにも新たな歴史を残せたことから、予選で敗退してしまったものの、みんなの表情は明るかった。
自分もこの大会をみんなと楽しめたが、上には上がいるということを痛感した大会でもあった。
5年生の一大イベントといえば色んなところから選抜チームを集めて開催する「多摩市招待大会」
この大会には多摩選抜として今までのライバルたちと同じチームになり参加した。
この大会は毎年開催されているが多摩選抜は今まで、あまり良い結果が残せていなかったが今年は一味違った。
自分の代の多摩市のサッカーはどのチームもレベルが拮抗していてお互いがライバルだと認識していた。
昔からそのライバルたちとチームは違えど、切磋琢磨してきただけあっていざ集まるとやっぱり強かった。
予選を難なく通過し、準決勝まで進み迎えたのは強豪横浜選抜だった。
予選の相手とは比べものにならないくらい強かったがそれ以上に多摩選抜は強かった。
結果は2–1で横浜選抜を下し決勝まで駒を進めた。
ちなみに多摩選抜のみんなはすごい仲が良くてどこにも負けないくらい仲の良さとチームワークがあった。
そのチームワークこそ強さの秘訣だった。
敵として戦う時は大嫌いだけど仲間として集まれば心強くて大好きな人たちだった。
そして相模原選抜との決勝戦。
前半から押し込まれる展開が続いたがなんとかしのぎ切って前半を0-0で折り返すと
迎えた後半、多摩選抜が徐々にペースを掴みコーナーキックから先制した。
1点リードで迎えた試合終盤、ふと「このチームでサッカーできるのもあと数分しかないのか…」と寂しさが込み上げてきたのを今でも覚えている。
そしてこの1点を全員で守り抜き1−0で勝利し多摩選抜の優勝で大会は幕を閉じた。
試合後はみんなで優勝を分かち合った。
そしてチームが解散するときはすごく寂しかった。
「昨日の敵は今日の友」として集まったが明日からはまた敵として戦うことになる。
サッカーには「昨日の敵は今日の友」があれば「今日の友は明日の敵」もある。
それの繰り返しがサッカーの魅力の一つだと思う。
今回も最後まで読んでくれてありがとうございます。
完成した記事を全部消してしまうというアクシデントがあり心が折れかけましたが、なんとか書き上げることができました。
まだタイピングが遅すぎて1つの記事を書くのに約1時間半くらいかかっています。
結構苦労して書いているので、それを読んでくれるのはめちゃくや嬉しいしやる気に繋がるのでこれからもぜひ読んでください!
小学生編4「成長」
5年生になると色々な選抜に入って自分のチーム以外でサッカーをすることが増え、さらにレベルの高い選手たちとサッカーできるのが楽しかったし自分の成長にすごいつながった。
なかでも1番衝撃を受けたのが東京ヴェルディの選手たちだった。
5年生の時、選抜で東京ヴェルディの選手たちと同じチームになる機会があった。ヴェルディの選手たちは技術が高いのはもちろんだったけど、サッカーに対しての考え方には大きな差があり、自分の未熟さを痛感した。
がむしゃらにボールを追っかけてサッカーをしてた自分とは違って小学生なのにものすごい頭を使ってサッカーをしてたし休みの時間もサッカーの話をしてたのを見て、だからこんなにサッカーが上手いのかと思った。
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実際同じチームで試合に出れば自分が上手くなったと思ってしまうほどやりやすかったし、どれだけ相手が強かろうが最後はヴェルディの選手たちが試合を決めて勝つことがほとんどだった。
中でも、渡辺皓太(現 横浜Fマリノス)は別格だった。
小学生にしてゲームをコントロールする力を持っていて、中盤の仕事を1人で全部こなし、最後には自分で点を決めてチームを勝たせる。そんな選手だった。
今まで同じチームでプレーした中で1番上手くて当時の自分の中では同い年なのに憧れを感じるほどであった。
東京ヴェルディ主体の選抜チームであっただけにこのチームで出たトーマスカップという東京の選抜大会では、あと一歩で優勝を逃したものの3位という好成績で終えることができた。
このチーム、大会を通して得た経験は小学生の自分のサッカーに対する考えを一から考え直す良いきっかけにり、こいつらに負けないくらいもっと上手くなりたいと強く思うようになった貴重な経験であった。
今思うと成長する時って自分より優れた人がたくさんいる中でその人たちに負けないようになんとか食らいつこうとするそんな時に成長するものだと思う。
成長するために自らを厳しい環境に置いていこうと思う。
今回も最後まで読んでくれてありがとうございました。
小学生の頃を振り返ると、今の自分に活かせるようなことがたくさんあって、子供の頃の考えや経験って意外と大事で今となっては大きな財産になってる。
ちょっと暇な時に小さい頃を振り返ってみるのはいかがでしょうか?
次回も読んでくれると嬉しいです!
人生で1番嫌いなこと。
人生で1番嫌いなこと
自分が人生で1番嫌いなこと。
それは「落ち込む」こと。
高校生の頃までは自分の思い通りにいかないことがあるとすぐ落ち込んでたけど、大学生になってふと「落ち込む」ということを考えてみると、すごいもったいないことに気づいた。
自分は生きていくうえで物事に対してメリットとデメリットを考える癖がある。
この時も落ち込むことに対してのメリットとデメリットを中心的に考えた。
まず落ち込むとでのメリットを考えてみたけど当然何も出てこなかった。
次に落ち込むことでのデメリットを考たら
「気分が下がる」
「時間の無駄」
「メリットが何一つない」
「他の事にも悪い影響を及ぼす」
「何も生み出せない」
こんなにたくさん出てきた。
落ち込むということは自分の気持ちを下げるだけでなく人生という限られた時間を無駄にするだけの行為だった。
それに1番強く思うのが
どれだけ落ち込んでも起こってしまったことはどうにもならない。
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例えばミスをして周りの人に迷惑をかけたとしても、その後にどれだけ落ち込もうがそのミスがなくなることは絶対にない。
ミスをしてしまえば誰でも落ち込みたくなるけどその前にまずどうやって取り返すかを考えればミスを帳消しにできるかもしれないし、後で落ち込まなくて良くなるかもしれない。
自分は大学サッカー最後のシーズン、開幕戦で大怪我をしたけど、落ち込んでもその怪我が良くなることがないし時間を無駄にするだけってわかっていたから落ち込むこともなく、次どうすればいいかを考えすぐに行動に移せた。
それにある先輩が言ってた言葉がずっと心に残ってる。
落ち込んでもどうせ最後には「頑張るしかない」「やるしかない」こんな感じの答えにたどり着く。
たしかにと思った。
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今まで落ち込んだ時を振り返るとどんな時もこの答えに辿り着き、そこでようやく落ち込むということがどれだけ無駄なことだったのかわかった。
今落ち込んでる人、よく落ち込みやすい人は冷静になって考えてみて欲しい。
落ち込むことで起こってしまったことが変わるのか、何かいいことがあるのか。
そして人生という限られた時間を無駄にしてないか。
落ち込みそうになったらグッとこらえて次どうしたらいいか考える。
それを続けてれば自然と落ち込むことも減って人生楽しくなると思う。
今回はサッカーじゃない内容で書いてみました。
自分が思ってることを書くのってすごい難しくて上手く伝わったかわかりませんが最後まで読んでくれてありがとうございます。
これを読んでも落ち込んでいたり悩んだりしてる人がいれば相談に乗りますのでご気軽に連絡してきてください。
小学生編3 「喧嘩」
小学4年生になると試合中に泣くこともなくなり少しずつ泣き虫な性格が変わっていった。
この頃から試合に勝ちたいという気持ちがものすごく強くなり、時には味方に声を荒げて厳しい要求をしたりすることでチームメイトとの喧嘩が増えた。
でもサッカーの良いところって試合中に喧嘩したりしても試合が終わって気がつけばまたすぐに仲良く話してたりする。試合中よく喧嘩するチームメイトほどサッカー以外の時で、ものすごい仲が良かったりする。
サッカー中の喧嘩のほとんどは1週間後に笑い話に変わってる。それほどサッカーやってる人はオンとオフがはっきりしている。
それからチームは喧嘩して仲直りしてを繰り返していくうちにどんどん強くなっていって気づけば倉庫にたくさんのトロフィーが溜まっていくほどにまで成長した。
多摩市は4年生になると選抜のセレクションが行われる。人生で初めてのセレクションで緊張したけど運良く合格したので今まで戦ってきたライバルたちと同じチームとして一緒に戦えることになった。
今まで敵として戦ってきたけど同じユニフォームをきて試合に出るとすごい心強かった。「昨日の敵は今日の友」まさにこんな感じでレベルが高い中でできるサッカーは今までにないくらいたのしかった。
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そんなチームで最初に出た大会はたしか優勝してやっぱり強かったなって思ったのを覚えている。試合中みんなうまいなって思ったのと同時に敵になったらやっぱこいつらには負けたくないってのがいつも心の底にあった。
何歳になってもこういう切磋琢磨できる仲間って大切で自分の成長に1番欠かせないものだと思う。
自分の周りには運良くそういう存在がたくさんいるから今もそれが刺激になって頑張れている。
これを読んでる人は面白いと思ってるかわからないけど、少しでも興味を持って読んでくれるだけで嬉しいです!
次回も頑張ります!
小学生編2 「初優勝」
小学校のチームでは毎回リフティングの時間があってそれが終わるとみんなで集まって記録の報告をコーチにする時間がある。
その時に周りの人よりも記録が低いと悔しくてもっと上手くなりたいって思うようになりリフティングの練習をたくさんするようになった。
1.2年生の頃はひたすらリフティングをやっていて5回できては喜んで10回できては喜んでを繰り返して2年生が終わる頃には100回を超えていた。
やはりリフティングでもうまくいかない時はイライラして泣いてしまうこともが多々あった。
みんなにバレないように端っこの方で泣きながらリフティングしてたこともあるけど多分誰も気づいてないと思う。
小学校の時に所属していたトヨニは東京の多摩市にあるチームで多摩市の中ではそこそこ強い方だった。
当時はどこのチームも同じくらい強くて多摩市の大会があればどこが優勝してもおかしくないような状況だったので毎回の大会がかなり盛り上がっていた。
ほとんどのチームに「こいつだけには負けたくない」って人がいたから多摩市にはライバルだらけだった。
試合になればそのライバルたちと本気でボールを取り合って勝って喜んだり負けて泣いたりしながら成長していったのを今でも覚えている。
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3年生になって多摩市の大会で優勝した時はめちゃくちゃ嬉しくて表彰式の時誰よりもドヤ顔をしていたと思う。人生で初めての優勝はその時で今思い出しても鳥肌が立つくらいでサッカー人生の中でも1.2を争う嬉しさだった。
このライバルたちは、後にチームメイトになったり、長い年月を経てまた敵として戦ったりとこれからもたくさん出てくる登場人物です。かつての仲間やライバルたちと成長してまた戦う、これこそがサッカーの面白さであり、自分が16年間続けることができた要因です。
本日も読んでくれてありがとうございます。
まだまだ下手くそな文章ですがめげずに続けていこうと思います。
内容もこれからもっと面白くなっていく予定です!
次回も頑張って書くのでぜひ読んでください。